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最近は。

by 岩瀬敬吾

ここ数年思うことは、無理するとそれだけ回復に時間かかるということ。
みなさんの常識や状況はわからないけど、僕自身ほんとタフでそんなに疲れないし
疲れてもすぐ回復するってのがだいたいで、だいぶ無理も効いた体だった。
最近は40手前ということもあり、疲れがなかなか抜けない。
とにかくタフさだけが売りだったのに普通になり始めているのだ。
無理してもすぐ消しゴムで消したように翌日はもりもりスッキリだったのに。
何だろうね。
老け込む歳でもないけど。
でもツアーしてると運転にライブ、コンタクト、気遣い(それぞれ)
がかさむもので、それも致し方ないけど
あとは性格も加味して、色々と疲れない旅もあれば疲れちゃう1日もあるわけだ。
みんな自分たちの生活とコミュニティを大事にしている中で
そよ風または過ぎ去りしもののために気を置くことも、ある意味必要はなく。
旅人はそれでよしとわずかな時間を止まり木の上でバランスをとるわけである。
何時迄も居たいと思う木や森もある。
そうわけにもいかず、街から街へと行くわけである。
西城秀樹さんが亡くなった。
ニュースを聞き驚き動揺した。
スターだし広島の誇りであるし。
20代の頃古い紅白の映像を見漁って居た頃があり、
やはりそこで輝いて居たのは西城秀樹さんだった。
ボタンを外せ、ブルースカイブルー、これらだけではないが
映像で泣かされた。
また話は変わるけど、
26歳の時親友を亡くした。
死んでほどない頃、彼の奥さんに
「岩瀬君はええねえ。死んでも声が残るんじゃけえ。
あの人はなんか声でも残してくれとったらえかったのに」
そう言われた。
その時はその言葉の意味、本質が何とも掴めなく、ただ
寂しさ故の言葉と捉えて居たのだけど、この度の
西城秀樹さんの死によりその言葉を思い出し、もう一度本質を
見返す機会となった。
今思うには、奥さんが言いたかったのは、
自分の愛した人の声を、自分の傾けた愛をこの先理解してもらうには
故人はすでにない中、声を聞いてもらいたい。そう思ったのでは
ないだろうか。
考え過ぎかな。どうだろうか。
ぼくはそう、遅ればせながら思った。
僕は最近疲れている。
それは、年齢もあるし、
無理できると思う脳とのギャップを埋めるにまだ
うまくいっていないということだと思う。
老け込むということは果たして諦めか? 
西城秀樹さんの死を見る限り
老化に諦めという言葉は存在せず、
身を任せ抗う、そんな矛盾も同期させ生きている姿だったと思う。
声に生き様を乗せる。
悲しい声も、金切り声も、辛い言葉も、幸せの数も。
話しが纏まらないようで、自分の中では纏まっているのだけど、
とどのつまり、
西城秀樹さんお疲れ様、ということと、
こないだfmyokohamaから流れてきたブルースカイブルーに涙したということと、
親友の墓参りしばらくしてなくてごめんということと、
最近は疲れが抜けきらないから万田酵素自腹で買わなきゃなあ
と考えている、ということで。
とどのつまり、
そんなわけで。
みんなの中で若いうち無理するのがいいんだと考えている人がいるなら
それは間違いで、無理っていうのはやはり「無理」なのだから、
分け合うことで緩和したらいいと思う。
無理して見つけた視野もあるけど、
まあこんなもんか程度の価値しかないし、
みんな、元気に
また会おう。
そんなことを考えつつの最近だ。
子供達はまっすぐ生きている。
お陰でブレない父でいられます。



岩瀬敬吾
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